圧倒的な存在感を放つ、絶対王者の羽生善治九段と大山康晴十五世名人。残した実績は、共に「凄まじい」という言葉がぴったりです。今日からのシリーズでは、羽生善治と大山康晴の成績や将棋タイトル戦の実績を、様々な角度から比較します。
羽生善治と大山康晴の成績やタイトル戦実績を比較 第1回
【羽生善治と大山康晴を比較】
✅全冠制覇
羽生:1回
大山:8回✅名人獲得
羽生:9期 (最長3連覇)
大山:18期 (最長13連覇)✅ライバルとのタイトル戦
羽生:谷川浩司 (16勝6敗) 佐藤康光 (17勝4敗) 森内俊之 (8勝8敗)
大山:中原誠 (5勝17敗) 升田幸三 (15勝5敗) pic.twitter.com/QrNFDJUItV— 将棋ポケット@将棋ブログ (@shogipocket) 2019年5月24日
全冠制覇
現在の将棋界では8つのタイトル戦がありますが、羽生善治九段の全盛期では7つ、大山康晴十五世名人の時代は5つ (棋聖戦は年に2回)でした。
どんな時代でも将棋タイトル戦の挑戦者は、その時の最強棋士が勝ち上がってきます。
そんな人たちを全員なぎたおすことは、とんでもない偉業です。
大山康晴と羽生善治の両大名人は、全冠制覇をやってのけています。
大山康晴
まずは、大山康晴さん。
前年まで全盛期を迎えていた升田幸三三冠 (最初の全冠制覇)のタイトルを、すべて奪って市場二人目の「全冠制覇」を1959年の名人戦で達成します。
翌年の1960年には4つ目のタイトル戦「王位戦」が創設されますが、当然のように「初代王位」に就位します。
1962年まで3年連続で「四冠王」を達成し、1962年に創設された棋聖戦も制して、4周目の「全冠制覇」を「五冠王」として達成します。
1963年に二上達也 (羽生九段の師匠)に王将位を奪われて一時的に五冠の一角は崩れますが、翌年にきっちり奪い返して再び五冠へ復帰します。
1966年春の棋聖戦で再び二上達也に一角を崩されますが、冬の棋聖戦で奪い返して「7度目の全冠制覇」を成し遂げます。
1970年に一時的に全冠制覇へ復帰しますが(8度目)、次代の王者「中原誠」に立て続けに2つタイトルを奪われ、以降は全冠制覇へ復帰することはありませんでした。
昭和56年からさらに10年前…
あの日 あの時 あの対局
晩成塾アーカイブス
英春の将棋のある風景
連載166回目 名人戦より昭和46年第30期名人戦
大山康晴 名人(左)vs升田幸三 九段(右)中央記録係左
鈴木英春奨励会三段(21歳) pic.twitter.com/2mFuyw66kZ— 英春流将棋 晩成塾 (@banseijuku) 2018年8月28日
第1回将棋大賞授与式。千駄ヶ谷の旧将棋会館の一室にて。前列左から殊勲賞の板谷進八段、敢闘賞の原田泰夫八段、勝率第1位賞・連勝賞の中原誠名人、最優秀棋士賞・最多勝利賞の大山康晴十段。(1974年近代将棋) pic.twitter.com/Xmf3Y0I8he
— 将棋ペンクラブログ (@shogipenclublog) 2018年10月4日
羽生善治
タイトル戦が6つに増えた時代に中原誠五冠が「六冠」へ挑みましたが、加藤一二三棋王に阻まれ、全冠制覇は逃していました。
タイトル戦が7つに増えたことで、「全冠制覇は夢物語」と誰もが思っていました。
ところが・・・。
なんと羽生善治九段が全冠制覇をやってのけたのです。
まさに神がかっていた勝ちっぷりで、谷川浩司九段をはじめとしたその時代のトッププロ棋士たちを、ことごとくなぎ倒していったのです。
1995年の王将戦で「全冠制覇」を谷川浩司九段に土俵際で阻まれたときは、ファンの誰もが「これで終わりか・・・」と思っていました。
しかしなんと、1996年の王将戦に「六冠全部」を防衛した上で挑戦してきたのです。
さすがの谷川浩司王将も、今度は神がかっている強さの羽生善治六冠を止めることはできず、1996年に「七冠王」が誕生しました。
本日は羽生善治さんが
谷川浩司王将を破り全七冠を達成した日なんですね
前年阪神淡路震災が有り 被災した谷川王将が4勝3敗でタイトル死守
七冠は当分難しいと思われたが 羽生六冠は棋王 名人 棋聖 王位 竜王 王座
を全て防衛 王将の挑戦者に再び名乗りを上げる
驚異的な復元力でした pic.twitter.com/NtmNB6t0x4— ゆきちゃん (@marinamiries) 2017年2月13日
第2回は、両雄の「名人戦」を解説します。
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