羽生善治と大山康晴の成績や将棋タイトル戦の実績を比較【第1回】

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圧倒的な存在感を放つ、絶対王者の羽生善治九段と大山康晴十五世名人。残した実績は、共に「凄まじい」という言葉がぴったりです。今日からのシリーズでは、羽生善治と大山康晴の成績や将棋タイトル戦の実績を、様々な角度から比較します。








羽生善治と大山康晴の成績やタイトル戦実績を比較 第1回

全冠制覇

現在の将棋界では8つのタイトル戦がありますが、羽生善治九段の全盛期では7つ、大山康晴十五世名人の時代は5つ (棋聖戦は年に2回)でした。

どんな時代でも将棋タイトル戦の挑戦者は、その時の最強棋士が勝ち上がってきます。

そんな人たちを全員なぎたおすことは、とんでもない偉業です。

大山康晴と羽生善治の両大名人は、全冠制覇をやってのけています。

大山康晴

まずは、大山康晴さん。

前年まで全盛期を迎えていた升田幸三三冠 (最初の全冠制覇)のタイトルを、すべて奪って市場二人目の「全冠制覇」を1959年の名人戦で達成します。

翌年の1960年には4つ目のタイトル戦「王位戦」が創設されますが、当然のように「初代王位」に就位します。

1962年まで3年連続で「四冠王」を達成し、1962年に創設された棋聖戦も制して、4周目の「全冠制覇」を「五冠王」として達成します。

1963年に二上達也 (羽生九段の師匠)に王将位を奪われて一時的に五冠の一角は崩れますが、翌年にきっちり奪い返して再び五冠へ復帰します。

1966年春の棋聖戦で再び二上達也に一角を崩されますが、冬の棋聖戦で奪い返して「7度目の全冠制覇」を成し遂げます。

1970年に一時的に全冠制覇へ復帰しますが(8度目)、次代の王者「中原誠」に立て続けに2つタイトルを奪われ、以降は全冠制覇へ復帰することはありませんでした。

羽生善治

タイトル戦が6つに増えた時代に中原誠五冠が「六冠」へ挑みましたが、加藤一二三棋王に阻まれ、全冠制覇は逃していました。

タイトル戦が7つに増えたことで、「全冠制覇は夢物語」と誰もが思っていました。

ところが・・・。

なんと羽生善治九段が全冠制覇をやってのけたのです。

まさに神がかっていた勝ちっぷりで、谷川浩司九段をはじめとしたその時代のトッププロ棋士たちを、ことごとくなぎ倒していったのです。

1995年の王将戦で「全冠制覇」を谷川浩司九段に土俵際で阻まれたときは、ファンの誰もが「これで終わりか・・・」と思っていました。

しかしなんと、1996年の王将戦に「六冠全部」を防衛した上で挑戦してきたのです。

さすがの谷川浩司王将も、今度は神がかっている強さの羽生善治六冠を止めることはできず、1996年に「七冠王」が誕生しました。

第2回は、両雄の「名人戦」を解説します。

【関連記事 5月26日公開予定】

羽生善治と大山康晴の成績や将棋タイトル戦の実績を比較【第2回】







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